「乙女桜」 | 須藤あつ子/作曲 Anthony K./作詞 |
父親は 今日も 糸を紡ぐ 娘の 運命を 想いながら 桜の 花は 今年も 咲くけど 乙女の 命は もう 戻らない お父さんのために お国のためになるなら 私は この身を 今 捧げましょう つぐなう すべさえ ないままに 祈りの 言葉だけが 耳に残る お父さんのために お国のためになるなら 私は この身を 今 捧げましょう 答えのない 問いだけが 人の胸に ただ 残される 桜の 花は 今年も 咲くけど 乙女の 命は もう 戻らない お父さんのために お国のためになるなら 私は この身を 今 捧げましょう お国は やがて 亡んでゆくとも 命の 営みは まだ 続いてゆく |
※この曲は、福島県白河市の小峰城に伝わる「乙女桜」伝説をモチーフに作られました。 「乙女桜」伝説について 福島県白河市にある小峰城は、結城親朝の築城だが、近世初期に転封してきた丹羽長重が改修を行った。その改修の際、本丸の石垣が築くそばから崩壊し、まったく工事が進まないという有様だった。そこで工事の陣頭指揮にあたっていた藩士・和知平左衛門は人柱を立てることを決意し、あくる日最初に築城現場を通った者を、身分や老若男女を問わず人柱にあてることとした。 ところが、あくる日の朝最初に城に近づいてきたのは、皮肉にも平左衛門の娘「おとめ」だった。驚いた平左衛門は、「来るな、来るな」と手で合図をしたが、それを見たおとめは、自分が手招きされているものと勘違いして城内に入ってしまう。しかもそのときおとめは、病気になった母親のことを父親に知らせようと思って来たのである。 どうすることもできぬまま、おとめはそのまま地中に埋められ、そのおかげで工事ははかどり、まもなく竣工をみるにいたった。やがて人柱を立てた辺りに一本の桜が植えられ、花を咲かせるようになった。人々はそれを「乙女桜」と呼んで、娘を偲んだ。 その後平左衛門は藩士の職を辞し、紡績の仕事を細々と続けながら、生涯娘の不運を悼んだという。 |